この職人でなければ、このラインが出ない。職人技術を継ぐということ
2019.04.28既成概念に縛られず、自分の美意識に忠実に生きる。連載「自由の探求者」は、そんな「自由の探求者」の思考に触れることで、既知の物事や時間の概念を軽々と超えてしまうようなイメージの力を喚起します。
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立ち上げから13年が経過したジュエリーブランドSIRI SIRIではいま、定番品を手がけてきた職人の技術を、若い世代のつくり手に継いでいくという試みが始まっています。
職人はどのような思いで制作に携わり、技術の継承を進めているのか。また、なぜこのような試みを始めたのか。ベテランガラス職人の八木原敏夫さんと若手ガラス作家の長岡瑛里さんに、SIRI SIRIスタッフの福田知桂が伺いました。
八木原敏夫|TOSHIO YAGIHARA
有限会社八木原製作所代表。一級技能士。職人歴35年。東京、墨田区で祖父が理化学硝子器具の製作を始め3代目。近年では理化学硝子器具のほか、SIRISIRIのジュエリーやアーティストの依頼で様々なガラス作品の制作も手掛けている。
長岡瑛里|ERI NAGAOKA
ガラス作家。1991年埼玉県生まれ。多摩美術大学工芸学科ガラス専攻卒業後、酸素バーナーワークを始める。ガラスという素材を主に、自由に表現をしている。https://erinagaoka.myportfolio.com/story-of-art
福田知桂|CHIKA FUKUDA
生産管理スタッフ/SIRI SIRI school「ATRIUM」担当。鹿児島県出身。服飾系の専門学校を卒業後、ファッションの販売、アクセサリーのパーツ専門店での企画販売を経て、2013年にSIRI SIRIのインターン生となる。約1年半、パーツの組み立てや販売補助などを手伝い、2015年より正社員に。現在は、生産管理を担当している。
第一印象の「できない」をクリアできてこそ仕事
-- ブランドの立ち上げ時からご協力いただいている八木原さんは、KIRIKOやCLASSICのバングルといったガラスアイテムをほぼ手がけられていますね。
八木原:はい。2005年にお声がけいただき、それから数年はほとんどガラスものでしたから新作のたびに制作していました。
福田:八木原さんのアイテムは「SIRI SIRIのガラスものといえば」という人気の高さで、今も在庫が入るとすぐ売り切れてしまいます。八木原さんの技術だからこそ実現できたと言っても過言ではないですし、全員がそれくらい信頼を寄せる職人さんです。でも、一番最初に岡本がお声がけした時はかなり驚かれたのではないですか?
八木原:そうですね。第一印象は「できない」でした。私もあまり技術に自信がない頃で、「一応は挑戦するけどできないかもしれない」とお返事したことを覚えています。ここにあるNEROL(細い捻りガラスの輪でできたピアス)も、デザイン画を見た時は「この人は何を言ってるんだ?」と思ったほどです。いい意味で岡本さんには職人ほどのガラスの常識はないので、欲しい形をそのままガラスでつくりたいとデザインされるんですよね。
福田:応えていただける信頼があってのことだと思います。13年経った今は岡本も素材の特性なども考え、職人さんと調整する時もありますね。ですが、デザインにはこだわりがあるので、当初はご苦労が多かっただろうなと。
八木原:僕にとってガラス加工は難しい仕事だと認識しているから、第一印象での「できない」は日常なんです。むしろ、それをクリアできてこそ仕事。ですから、ガラスの扱いの難しさが印象に残っています。NEROLの制作時は、岡本さんがロープでつくった他のアイテムと同じ形をガラスでつくりたいと。それで、耐熱ガラスをバーナーで細い棒にし、均一に捻った縄で半円をつくり、それをさらに繋げて形づくったんです。
福田:つくり方から考えるということでしたが、これはどれくらい時間がかかりましたか?
八木原:比較的早かったですね。縄と同じくガラスの紐をなわせたら捻りがきれいに残ったので、より精密にすれば形になると見当がつきました。SIRI SIRIのジュエリーのような複雑な成形や繊細な加工ができるのは、割れにくい耐熱ガラスだからこそ。型成型のほうが簡単にできそうなデザインもありますが、耐熱ガラスだと融点が高すぎて型に向かないんですよね。
福田:この、人の手ならではの形やカーブが、SIRI SIRIらしさだと思うんですよね。作業中も本当に細かく、ミリ単位で寸法を測りながら加工されています。手間を惜しまずに素材と対峙される光景は何度見ても感動しますし、ここまでしなければこのフォルムや暖かさ、人になじむ揺らぎは表現できないのだと実感させられます。
八木原:ただ、耐熱ガラスでつくる繊細なデザインは量産できないですからね。数とのバランスを取るのは大変だと思います。
福田:そうですね。型成型も取り入れるべきかと思う一方で、手作業のよさが失われる可能性もあるので難しい問題です。商品が手元に届くのを待ってくださっているお客様に、できるだけ早くお届けしたいという思いはずっとありました。八木原さんの本業である理化学実験器具の作業を圧迫しないよう調整してお願いしていますが、ご要望に追いつかなくなっているのも事実です。
そこで2017年から、八木原さんのアイテムの制作手順と技術を、若い職人さんに継承していただく試みを始めたんです。制作のご負担の軽減と、数量を増やすことの両方を実現させたいと。
「この職人でなければ、このラインが出ない」ジュエリー
-- ジュエリーブランドが職人に、お弟子さんでないつくり手の指導をお願いするのは、とても珍しいことですよね。
福田:本当に、よくお受けいただけたと思います。でも「この職人でなければこのラインが出ない」というジュエリーは他にないんじゃないかなって。一つひとつを職人さんが手がけることがSIRI SIRIのアイデンティティであり、技術を継ぐ必要性だと思っています。八木原さんの商品は現在約6カ月待ちですが、それでも欲しいとおっしゃってくださるお客様が後を絶ちません。長年愛されてきたアイテムを絶やさないためにも、ご負担にならない範囲で制作いただき、同時に技術を継いで生産体制も整えていく。生産管理としては、この形が現時点での着地点かなと思っています。
-- 若いつくり手さんは、SIRI SIRIに初期からお付き合いがあるガラス作家 松村潔さんが主催されていたお教室の生徒さんにあたる方だとか。
福田:はい。職人さんも個性や技術力、得意分野や環境がさまざまなので、まずは小さなアイテムを中心にお願いしています。KIRIKOのリングやピアスをお願いしている長岡瑛里さんもそうです。当初はサンプルをお送りして制作いただいていたのですが、より短期間で適切に引き継げる方法をと考え、3カ月間隔週で八木原さんの工房に通っていただき、毎回3時間ほどかけて技術講習を受けていただくことにしました。
長岡:手順はもちろんですが、清潔な作業環境の重要性などの基礎から丁寧に教えていただきました。例えば、リングにゴミがつく問題で行き詰まったことがあった時にも、ほこりが原因だと教えていただいて。あらためて基礎の重要性を実感しました。
福田:基礎指導は八木原さんからのご提案です。整理整頓などの基本や素材との向き合い方から仕事の進め方まで、3カ月で伝えてくださった内容が、今の長岡さんのお仕事に出てきていると感じますね。KIRIKOのリングももうすぐお客様にお見せできる段階にきていますし。
長岡:そう言っていただけると嬉しいです。でも、今思うとサンプルだけでは絶対に完成できなかったと思います。直接教えていただいて驚いたのは、制作の手順がとても理路整然と組まれていたことです。順番に進めれば効率よく美しく仕上がるので、一度できれば応用が利きます。KIRIKOリングはトップの厚みを少し増すことになったのですが、そのおかげで自力でラインを調整できたんです。また、今はHOBO SIRI SIRIの制作のために、ガラス玉を1,000個つくっているのですが、そこでも八木原さんの教えが身にしみています。
まったくないものをつくるということ
-- ちなみに、理化学器具制作の技術を取り入れたアイテムってあるのですか?
八木原:実験器具はガラスのチューブの成型、SIRI SIRIはガラスの塊が中心なので、形の面ではあまりないですね。むしろ火力の調整方法やガラスの扱い方など、仕事の基本が重要な共通点だと思います。
福田:火力の調整はやっぱり難しいですか?
長岡:とても難しいです。チューブの状態で熱を入れるとすぐにつぶれますし、均一に熱を入れないと変な形にふくれたりします。
八木原:ガラス加工に携わる職人には共通の技術ですね。表現方法は違えど、ガラスの溶かし方や加熱方法など目に見えない注意点は同じ。技術を深く理解した人ほど意識する部分だと思います。
長岡:最近、個人的にKIRIKOバングルにも挑戦してみたのですが、なんとも悲惨な結果に終わってしまって。
八木原:KIRIKOバングルは、これの手順が考え出せたことで他のものもできると思えた、私にとっても重要なアイテムです。制作の観点で考えれば、KIRIKOリングもバングルの応用ですし、CLASSICバングルもボリューム感を調整することで完成させたものなんです。最初は僕もボリュームがあるので難しいと後回しにしたほどですが、形になるよう何度もトライしました。ちなみにKIRIKOシリーズは最終段階で切子職人さんが加工されますが、CLASSICの模様は僕が一本ずつ入れてるんですよ。
福田:意外な道具なんですよね。
八木原:そう、食事用のナイフ。ベネチアンガラスの巨匠が食事用ナイフでフィギュアを上手につくっていたのがかっこよくて、僕も真似しました(笑)。
福田:いつでも、どんなことでも仕事に活かそうとされていますよね。
八木原:それはありますね。実は岡本さんとの仕事が始まった頃、日本のクラフト界でとんぼ玉ブームが起こり、パイレックスのバーナーワークが一時期盛り上がったんです。海外からたくさん巨匠が招かれていたので、岡本さんのデザインを形にするヒントや技術を得たいと、デモンストレーションやワークショップは全部受けましたね。ガラス棒を捻ったのも、ベネチアンガラスのデモンストレーションを見たのがヒントになりました。
福田:つねに何かを吸収しようとする姿勢や、時間をかけても形にしようと試行錯誤する努力が本当にすばらしいです。まったくないものをつくるには、それだけの知識とエネルギー、創意工夫や強い気持ちが重要なんでしょうね。
-- いい意味で、職人レベルのガラスの常識や型がない。ないものを形にすることもSIRI SIRIらしさなのかもしれません。
八木原:そうですね。岡本さんのアイデアはそれまで見たことがないものでした。ガラスのアクセサリーを趣味でつくる人はいても、本気でジュエリーブランドにしようという人はいなかった。だから本当にできるのかなと思っていたのに、始まるとたくさんのお客様がついていき「そうか、できるんだ」と。それからは岡本さんのアイデアを見ても「できるかも」と思うようになりました。口で「できない」と言ったとしても、前提はすでに「どうすればできるか」なんですよね。だから時々残念に思うのは、他の職人さんがバングルを「できない」と断ってしまうこと。完成品があるのだから一度やってみればいいのにと思うんです。
福田:わたしたちの基準の厳しさもあってか、確かにお断りされるつくり手さんは多いです。古くからのバイヤーさんやお客様にはこのクオリティが基本なので、時間がかかってもブランド全員が美しいと認めるレベルのものをお出ししたいんですよね。そう思うと、ガラス界でもトップクラスの八木原さんの技術をSIRI SIRIに継がせていただけることは、本当にありがたいことです。
ものづくりも技術の伝承も、相手との向き合い方は同じ
-- 長岡さんも八木原さんとの出会いは大きかったのでは。
福田:ぐんぐん成長し、活躍されているのを見ると、本当によかったなと思います。お任せできるアイテムも増えましたし、長岡さんの実力や経験に繋がっているとしたら、これほど嬉しいことはありません。きちんと教えないとという八木原さんとしっかり受け取りたいという長岡さん、先生と生徒としての相性もよかったのかなと。
八木原:いま、長岡さんを含めて若い2人の職人さんに教えていますが、基本的には、一生懸命やってもらえればそれで十分なんです。最近、アイテム制作も技術の継承も、相手との向き合い方は同じだなと思うようになりました。アイテムは岡本さんが何を求めているかを汲み取って形にします。それと同じように、技術を学びたいと僕の工房に来た職人さんも、何が必要か、求めているかを汲むことが大事。現状のレベルや何を学べば成長できるかは個々で違いますが、その意識を持ちつつ、自分なりに関わっていけたらと思います。
福田:毎回その職人さんの弱点や足りない部分をまとめて、身につけたほうがよいことを伝えてくださるんです。もう一人の若手の職人さんにもよいアドバイスをいただいていて、受け手が制作に対する刺激を受けているな、と感じることがあります。八木原さんは言語化もとてもお上手なので、若い職人さんたちもきっと理解しやすいと思います。
八木原:そこは僕自身が苦労したからかもしれません。祖父も父も同じ仕事で僕が三代目ですが、ずっと職人の世界は「教えない」が基本でした。でも僕は行動の意味が理解できないと動けない性格で、見て覚えろと言われても理解できず、うまく手を動かせない期間が長かったんです。30年つくり続け、自分が先代と同じレベルでつくれるようになってようやく、彼らが伝えたくても言葉にできなかったことが見えてきました。長い時間かけて少しずつできるようになったからこそ、ずっとできなかった自分だからこそ、若い職人さんの技術力や成長に必要な学び、振り返るべき知識が見え、どう伝えればいいか考えられるんだと思います。
じつは、理化学器具制作の分野でも後進育成のお話があるんです。最初から順序立てて学べる仕組みがまだないので、SIRI SIRIと同じように若手の職人と関わっていけたらと考えています。
福田:違う業界と同じ流れで進んでいるとは、SIRI SIRIは本当にタイミングがよかったのですね。若い職人さんを育てながら一緒に歳を取っていけたら、ブランドとしてこんなにすばらしいことはないと思います。
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SIRI SIRIには欠かせないパートナーである職人の、ジュエリーを生み出す技術を介した仕事への真摯な思い。そしてこれからのものづくりのあり方が少し紐解かれたような気がした対談でした。
文 木村 早苗
写真 伊丹 豪