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Interview

ユートピア、誰かと共有することで現実化する世界について。

2019.06.14
ユートピア、誰かと共有することで現実化する世界について。

既成概念に縛られず、自分の美意識に忠実に生きる。連載「自由の探求者」は、そんな「自由の探求者」の思考に触れることで、既知の物事や時間の概念を軽々と超えてしまうようなイメージの力を喚起します。

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撮影は、2019年4月にミラノサローネ国際家具見本市と市内のギャラリーの2会場での出展をおこなったKARIMOKU NEW STANDARDの展示にて。ダヴィッドさんがクリエイティブディレクションを担当している。

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スイス、チューリッヒ生まれのダヴィッド・グレットリさんは、2008年に日本に移住。大阪、京都を経て、現在は東京と長野・小諸を行き来しながら、「KARIMOKU NEW STANDARD」や有田焼「2016/」、「SUMIDA CONTEMPORARY」や「TAJIMI CUSTOM TILES 」など、国内外のメーカーやブランドへのクリエイティブディレクション、デザインコンサルティング、デザインマネジメントを行っています。東京に生まれ、現在スイスの首都・ベルンにある、ベルン芸術大学大学院のデザイン科に通うSIRI SIRI代表・デザイナーの岡本菜穂さん。生まれた国とは異なる場所へ行き着いた二人が、イタリア・ミラノでそれぞれの描く、ユートピアについて語ります。

 

岡本菜穂|NAHO OKAMOTO

SIRI SIRI 代表・デザイナー。桑沢デザイン研究所スペースデザイン科卒。2006年よりジュエリーブランド「SIRI SIRI」をスタート。建築、インテリアデザインを学んだ経験を活かし、ガラスなど身のまわりにある素材を使ってジュエリーをつくっている。http://sirisiri.jp/

 

ダヴィッド・グレットリ|David Glaettli

1977 年生まれ、スイス・チューリッヒ出身。アート、マスコミュニケーション及び日本語 を横断的に学んだ後、イタリア・ミラノとスイス・ローザンヌにてインダストリアルデザイ ンを専攻し、ECAL(ローザンヌ美術大学 ) を卒業。2008年に日本 へ移住。 その後、大阪でアソシエイトデザイナー兼デザインディレクターとして柳原照弘 主催のデザインスタジオに参加。2013年、Glaettli Design Direction を設立。http://www.davidglaettli.jp

 

 

ユートピアは、生まれた場所ではないどこかにある?

岡本:私がスイスについたときに、まだ夏だったから、スイスの人がよく湖やプールで泳いでいるのを見かけて。プールもいわゆる日本でイメージするものじゃなくて、芝生と浅めのスイミングプールがあって、憩いの場みたいなんですよね。泳いでいる人もいれば、寝てたり本を読んでいる人もいて。

ダヴィッド:そこで1日を過ごすんですよね。

岡本:そうそう。本当に天国みたいと思ったんです。それで、ダヴィに「ユートピアみたい」と話したら、「そういうふうによく言われる」という話をミラノで会ったときにしたんですよね。

ダヴィッド:そう。日本から見れば、スイスはユートピア的かもしれないとは思います。スイスの人は、どうやって生活を楽しめるのかを一番に考えているところがあるから。

岡本:クオリティ・オブ・ライフは世界一に近いですよね。

ミラノデザインウィーク中の風景

ダヴィッド:そうですね。20年前のチューリッヒはまだそこまで今みたいな空気はなかったけど、そこからどうやったらこの街をより上手く使えるのかを考えるのが趣味みたいになって、文化をつくっていったというのかな。たとえば、仕事に行くときも自転車で行って、昼休憩で自転車で湖に寄ってちょっと泳いで、戻ってきて仕事する。できる範囲でやればいいと。

岡本:そうだったんですね。私、実は言うと、スイスに「来たい」と思ったことはなくて。

ダヴィッド:そうなんだ。

岡本:そう。でも、子どもの頃から、日本は嫌いじゃないけど、パーソナリティー的にもデザインの思考や傾向も何かが違うと感じていて。「自分に合う場所はどこなんだろう?」とずっと思ってたんです。ただ、でも、いろんな国を旅行して、実際にスイスに来てみたら、「あぁ、私こういう世界を求めてたんだな」と腑に落ちたんですよね。それに、建築家の父の影響もあって、子どものときにル・コルヴィジェだったり、スイスのデザインを舐めるように見ていて。こっちに来てから、デザインのリテラシーみたいなものの影響をその頃に受けていたんだな、と気づいた。スイスの公共物がものすごくきれいなところも、私がユートピアとして思い描いていたものに近かったんだと。

ミラノの街角にて

ダヴィッド:外から来たから楽しめる、という部分もありますよね。スイス人の僕にとっては、スイスはときに美しすぎる、触れるには完璧すぎるんです。隙間がない、とも言えるかもしれない。東京には隙間があるんですよね。

岡本:若い人からは、「スイスはすごく退屈なのに、なんで東京からわざわざ来たの?」と言われたりもする。そこに訪れる年齢も関係しているかもしれないですよね。

ダヴィッド:うん。それぞれの年齢でユートピアは変わるものかもしれない。考えたら、日本は、20代の僕にとってのユートピアだったと思います。今は、また少し考えが変わってきているし。

岡本:ものづくりの視点で言うと、日本のものづくりの文化はユートピアに思えたということはありますか? たとえばメイド・イン・スイスのものは本当に少ないじゃないですか。時計とかはあるけれど。だから、メイド・イン・ジャパンのものに囲まれている日本とは違いますよね。

ダヴィッド:スイスはそもそもメーカーがすごく少ないし、職人がいないから、何かをデザインしてつくってもらうことは全くできない。一方で、日本はなんでもつくり放題だけど、最初の頃は、まだ自分にとってのものづくりのユートピアのコンセプトが何なのか、全く見えてなくて。そこから、技術はあるけれど何をつくればいいか迷っているメーカーや職人さんと話しながら、何をつくるかを決めて、それに合わせてデザイナーを呼んで商品開発をして、ブランドイメージをつくって展示していくという仕事をするようになった。だから、ユートピアを実現するために働いているという感覚は今はありますね。

岡本:ものづくりのユートピアを実現させるために職人さんと一緒につくる、というのはSIRI SIRIもそうですね。

ダヴィッド:日本のものづくりの完成度の高さは、機能的あるいは合理的というよりもむしろ自然で本能的で、西洋人から見ると理解の難しいところもありました。でも、どの職人もその完成度を追求しているように感じます。理想的な状態に近づけそうなのに、実際には決して手が届かない。これも一種のユートピアのようにも思えます。

 

曖昧な言葉と、説明的な言葉という文化の違い

ダヴィッド:日本は、言葉にすることよりも言葉にしないことが多いですよね。スイスにいたときは、そのコンセプトを全然知らなかった。ヨーロッパでは、言うことしかないんです。言わなかったらなかったことになる。口に出して言ってはいないけれど頭で思っていることは誰でもあるはずなのに、それを表現することができないんです。

岡本:ハイコンテクストとローコンテクストのカルチャーって知ってます? 日本は島国で、ひとつのことを話していてもバックグラウンドが一緒だから、一番ハイコンテクスト。一番ローコンテクストなのが、バックグラウンドも言葉も違うスイスだと言われていて。

ダヴィッド:ローコンテクストなのは、アメリカかと思った。

岡本:そうですよね。でも、それを提唱している学者のエドワード.T.ホールさんは、そう言っていて。そう考えると、スイスの人は全部を説明するんですよね。例えば買い物に行くと言ったら、何を買うとかどこに行くとか。けっこう話が長い(笑)。

ダヴィッド:話すのも遅いしね。時間がかかる。

岡本:そうそう。でも、スイスの文化も調和を凄く大切にするから、それをやらなくても分かり合えるんじゃないかと思う時があるんだけれど。

ダヴィッド:スイスと日本は似ているところもすごくあるんだけど。スイス人は情報を伝えたほうがいいとか、何かあったときにディスカッションをしないといけないという理由で話すけど、おしゃべりが好きとか、楽しいというニュアンスではない。

岡本:スイスの人は、その先のことを考えてますよね。話している相手にちゃんと情報が伝わっていないと、何かあったときに困るから。

ダヴィッド:スイス人は特に曖昧が嫌い。ロジカルだから、何かを説明できないこと自体が苦手だし、話すことにも無駄がないんですね。控えめに、間接的に、礼儀正しく、そして対立を避ける。

岡本:ロジカルに説明できないことに対面したときはどうするんですか? たとえば、すごくナチュラルに美しいことに遭遇したときとか。

ダヴィッド:難しいですね。それはスイス人のちょっと弱いところかも。たとえば、「美しいから」、「好きだから」といった理由を学校で言ったら、即アウトですよね。だから、スイスはグラフィックと建築系が強いのかもしれない。

岡本:ダヴィがスイスにユートピアを感じなかった理由に、そこは関係していそう。

 

新たな言語を得ることも、ユートピアに近づくひとつのツール

ダヴィッド:わざわざ言わなくてもわかる、という日本のカルチャーは割とユートピア的でしたよね。日本に来た最初の頃は、日本の人の空気を読む能力がすごいと思った。自分はなんとなくいつもできていると思っていたけど、スイスではそれは全く認められることではなかったから。でも、日本では空気が読めない人は駄目な人とされるでしょう? 今はそれがたまに面倒くさいなとも思うけれど、初めはそこがすごく美しいと思ったんですよね。

岡本:そうだったんだ。日本には、「お陰さまで」って言葉があるじゃないですか。これって、話している相手が陰ではなくて、誰の陰でもない、いろんなもののシャドウに感謝するといった意味なんですよね。そういう言葉からも、日本って見えないものを見ている国なのかなって。

ダヴィッド:言葉自体が、思考と行動に大きく関係しますよね。日本語を勉強してだんだん喋れるようになったら、僕の中のどこかにずっとあったけど捕まえられなかったことを、いきなり表現できるようになった。言えるようになると、そのことが現実になっていく。そこにあっても、言葉がないと掴めないし、そもそも言葉で考えるから、その国の言葉がないと考えられない。だから、母国語と全く違う言葉を理解すると、考えることも自ずと増えていく。

岡本:面白いですね。

ダヴィッド:逆に、スイスは文法がないみたいなものだからすごく自由に話せるし、言葉を勝手につくれるんですよね。それは日本ではできないことだし、けっこう楽しかったなと。

岡本:スイスで使われているドイツ語は、スイス・ジャーマンという口語なんですよね。活字にはハイ・ジャーマンと呼ばれる標準のドイツ語を使うんだけど。

ダヴィッド:そう。だから、けっこう言葉で遊べるというか、間違いはないから言葉を考えてつくって、その言葉遣いが面白かったら、他の人がピックアップしてだんだんその言葉がメインストリームになっていくことがあるんです。

岡本:フレキシブルな言語ですよね。スイスにいると、言語のミックスが心地よくて。たとえば、ベルンはドイツ語がメインだけれども、ドイツ語圏とフランス語圏の中間にも位置しているので、それぞれ違う言語の地域から来た人同士のコミュニケーションはフランス語とドイツ語と、ときどき英語が使われている。ひとつのところに留まらなくてもいいと許されているような感じもユートピア的というか。

ダヴィッド:娘と話しているときも同じ感覚があります。ドイツ語と日本語が会話に混じっているから。

岡本:スイスはフランス語とドイツ語とイタリア語と英語。あとは、みんなあまり喋らないかもしれないけどロマンシュ語も話しますよね。だから、日本にいると、「スイス人って天才!」と思うけれど、スイスに来ると、ドイツ語だけじゃなく、フランス語とイタリア語も話せなきゃと思う。そうすることで、より自由を感じられるんですよね。コミュニケーションがスムーズに行えることとはまた違うんだけれど。言葉の成り立ちをすごく考えるようになったし、ひとつの言語でやり取りをすることが言葉のコンセプトじゃないんだなとすごく感じます。

ダヴィッド:ツールが増えますよね。

岡本:自分の中にある何かを掴む上で、日本語なりの、フランス語なりの、英語のリーチの仕方は言葉のコンセプトからして全然違うんじゃないかと思っていて。そういう意味で、自分の中にある今までアウトプットしてこなかったコンセプト、アイデアがいろんな言葉を使うことによってマルチに使えるようになって、より自由に感じるのかもしれない。

 

ユートピアとは、誰かと共有して、現実化していくもの

ダヴィッド:ユートピアは、ひとりでつくれないということはあるなって考えていて。まずは二人の人が必要。まだ現実じゃないからひとりで想像しても見えてこない。でも、二人いれば、誰かと共有できる。そうすることで、初めて現実のものになると思うんです。

岡本:ユートピアって、天国みたいにフワフワしてて、他の人が入ってくることによって、それはここにあるんだって現実になってくるのかもしれないですね。

ダヴィッド:「記憶の大部分は忘却によってつくられている」と語った作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、夢と現実の間に浮び上がる「迷宮」の世界を描いていますが、今は娘といるときにそれを感じるんですよね。彼女はまだ子どもだから、世界が全く違うように見えているけど、僕も子どもの頃のことをなんとなく少し覚えているし、そこにも僕らの小さいユートピアはあって。

岡本:夢を見るのも楽しいけど、それを具体的にすることがさらに楽しいですよね。私はやっぱり実現していきたいと思うタイプ。

ダヴィッド:僕はけっこう想像で満足しちゃうんです。だから、環境を変えることで実現していく。以前、友人が言ったんです。「選択はいつでもできるけれど、コントロールすることはできない」って。自分の環境を(自分のユートピアに向かって)コントロールはできないけれど、住みたい環境を選んで、それを自分の想像力に合うようにすることはできる。

岡本:環境を変えたり、いろんな人と会ってみたり、自分のユートピアを実現することを諦めずにするという作業は、もっと日本にいる人も実践していいんじゃないかなと私は思っていて。

ダヴィッド:それはすごく大事なことですよね。個人のユートピアもあるけど、ソサエティのユートピアもあるじゃないですか。デザイン・フィクションもそうですよね。

岡本:デザイン・フィクションとか、スペキュラティブ・デザインは、最近スタンダードになってきた考えですよね。デザインは基本的にリアリティだけれど、フィクションとして考えたときに、オブジェクトにしたりアートに近くなっていく。そうすることで、リアリティに向かっていく未来のヒントが広がるというデザインのことですよね。

ダヴィッド:うん。80年代にサイエンス・フィクションの映画が多出したことで、みんなが将来のビジョンをつくれましたもんね。

岡本:意外と、フィクションが現実になったりすることもあるから。

ダヴィッド:そういうワークショップやりたいですね。

岡本:デザイン・フィクション的アプローチは、一般のエンドユーザーには少し遠く感じる考え方なんですけど、私が学生のときは、そういうデザインを見るのが好きだったし、刺激になるから、若い人向けにはすごくいいと思う。自分の考えを見つめなおしたり、高めるきっかけになりますよね。

文 小川 知子

写真 Simon Bcc(https://www.smnbcc.com/

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