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素材への旅

七宝、宝石ほどに美しいその質感と透明感

2024.08.22
七宝、宝石ほどに美しいその質感と透明感

2024AW コレクション〈 SHIPPŌ 〉が、8月23日より発売となります。SIRI SIRIにとって初めての七宝焼きを用いたジュエリーは、その名の通り、宝石にも劣らぬ美しい質感を誇ります。このコレクションの制作を担った職人へのインタビューを通じて、七宝焼きの魅力と製作過程に迫ります。

変わりゆく時代を超えて生き続ける伝統工芸

“しっぽうやき”と聞いてすぐに”七宝焼“という漢字を思い浮かべることができる人はどれくらいいるだろうか。

「初めて会う人に『七宝焼きを作っています』というと、『珍しいですね。』とか、『それって食べ物ですか?』って真面目に言われちゃう。毎回だいたいリアクションは同じですね。」

SIRI SIRIの七宝を手がける㈱平林七宝・ピラパヤ工房の平林明子さんはそう言って笑い飛ばす。

平林七宝・ピラパヤ工房 平林明子さん

明子さんは、代表取締役でもある夫の学さんと二人、国分寺市の閑静な住宅街の一角でピラパヤ工房を営んでいる。溌剌とした表情と凛とした佇まいが印象的な女性だ。台湾生まれの作曲家を祖父に持ち、自身もそのルーツを探るべく、北京にある中央工芸美術学院(現精華大学美術学院)に進学し、陶芸を専攻した。

七宝は、銀や銅の金属素地に釉薬を盛り、800℃前後で焼成した工芸品。
釉薬は、金属を添加し色を付けたガラスの粉である。原料を一度ガラス化させて細かく砕いたものを焼き付けるため、透明感がある。幾重にも重ねて焼き付けることにより奥行きのある表現ができる。

七宝の釉薬が入った棚

七宝の釉薬が入った棚

平林学さんと明子さん

平林学さんと明子さん

七宝の歴史は、古代エジプト文明までさかのぼる。シルクロードを通じてヨーロッパから中国に伝わり、日本には奈良時代頃に伝わったというのが通説だが、古墳時代に伝わったと推定する説もある。現在知られている七宝焼きは、オランダから輸入した七宝皿を手がかりに、江戸時代末期に尾張藩士梶常吉が製法を確立した。

日本の七宝が世界に広まったのは1867年のパリ万博への出品がきっかけである。
現在でも迎賓館の「花鳥の間」の壁には、四季折々の花や鳥を描いた30枚の七宝焼きの額が飾られ、皇居の北溜には直径60メートルもある七宝焼きの壁飾が掲げられている。

「七宝焼きは必要に迫られてできた工芸品ではなく、加飾の文化の中で生まれた装飾品。だから一般の人との接点がずっとない状態だったんです。」

そんな七宝焼きはどのように普及していったのだろうか。㈱平林七宝の歴史と重ね合わせながら話を伺う。
先代の父が戦争から帰ってきた頃、国の役人が産業復興のために地方を巡回していた。その中で七宝に興味を持った彼は、愛知県にある七宝町(現在のあま市)で梶常吉の系統を受け継いだ太田重雄に弟子入りし、七宝焼きの技術を取得後、独立した。

「七宝焼きが一般家庭に普及していったのは昭和30年頃です。それまでは百貨店の美術品売場などに置いてあるものでした。」

高度成長期に入ると、贈答品などの法人需要や結婚式の引き出物など、七宝焼きの需要は一気に高まる。

本来、七宝というものは一つ一つ手仕事でつくっていくもの。その中でも有線七宝とは、帯状の銀線を立てて輪郭を作り、線で囲まれた部分に釉薬を盛って焼成する代表的な技法である。しかし、その技法は手間がかかり、価格が高くなる。

そこで先代は、銀箔をプレスし、凹凸のある模様をつけることで有線七宝のような表現を行う「張有線」の技法を考え出した。百貨店は大喜び。

「作ったそばから待っている問屋さんの車に積んでいくから、倉庫がいらなかったくらいでした(笑)。」

工員を増やし量産体制へ。まさに全盛期だった。

しかしそれは永遠には続かなかった。バブルが崩壊し、贈答品需要が激減。

「結局、高度成長期はものが少ない時代。ものが増えてくれば、選択肢は増える。その中で『本当に欲しい』と思ってくれるものをつくらない限り、七宝は世の中から消えてしまう。」

ずっと心の中にくすぶっていた思いだった。
2003年にはついに縮小した量産部門を神奈川県に移転。その翌年、都内に「ピラパヤ工房」を設立し、二人は新たなスタートラインに立った。

「これからは全然違う畑で、一つ一つ違うものを作りたい。そう考えたら『違うといえば”名前”だ!』って(笑)」

ピラパヤ工房の主力である表札・看板制作はこうして始まった。もともとポルシェなど車のエンブレムにも使われている七宝。雨風にも強いはず。しかも色褪せることはほとんどない。再起をかけた挑戦は手探りだった。表札メーカーにアプローチし、その選択肢に七宝を加えることに成功。事業の基盤をつくることができた。

ピラパヤ工房ウェブサイトには全国の個人客からも注文が入る。ペットや家紋などをデザインした表札からは、住む人の暮らしを慈しむ気持ちが伝わってくるようだ。折り重なって溶け合うその色合いは、見ているだけで心が満たされる。

七宝の常識を覆した360°で見せるコレクション

晩夏に発表予定の七宝のコレクションはSIRI SIRIにとって初めての挑戦である。 そもそも七宝は、製法上、平面での表現が主流の工芸である。その常識を覆した新作は、地金を立体にしたり、釉薬を盛り上げるなどの方法で有機的なラインを表現。側面にもこだわり、360°どこから見ても美しい作品をつくり上げた。それは、それまでピラパヤ工房でアクセサリーを手がけていた明子さんにとっても新たな挑戦だった。

デザイナーは頭の中にあるものを図面に起こすのが仕事。そのデザインをその素材でつくれるのかということまで考えているわけではない。「ふわっとした曲線ではなく、なるべく90°に近いぱきっとした線で」など、そのニュアンスを同じ感覚でとらえるのはいかに難しいことか。強度面で構造的な限界もある。明子さんは、感覚を研ぎ澄まし、デザイナー岡本が表現するイメージに近づけるよう、少しずつ構造に変更を加え、幾度も試作を繰り返した。ようやくMAGNOLIAのデザインが決まったのは7回目の試作のとき。

だが、立体的につくるということは焼成段階でも工夫が必要となる。治具と製品の接点を如何に小さく少なくするかが完成度のカギとなるため、様々な形の治具で試行錯誤を重ねた。

通常は土台に純銀または銅を使用することが多いが、純銀では立体のアクセサリーの強度が保持できないため、今回使用したのはSV950というシルバー素材。同じ釉薬でも土台の素材によって発色が違う。

いつもと違う素材に思ったような色合いの白を出すのがとても難しかったという。完成したのは、真っ白ではなく、ぴったりくる表現が難しい、なんとも絶妙な色合い。「うまく定まらないところが逆にニュアンスになった気がしますね」と明子さん。

さらにそこからサンドブラスト(表面に砂などの研磨剤を吹き付ける加工法)を施し、あえて艶を落としてみたことで、モチーフであるマグノリアの質感に近づいた。

様々な試行錯誤を経てようやく完成したMAGNOLIA。華奢で洗練されたデザインのピアスをつけると、3枚の花びらが触れ合い、かすかに音を奏でる。その涼やかな音色はまるでつけている人を勇気づける秘密のおまじないのようにも感じられる。

もう一つのピアスはBEAR。同じデザインのネックレスもある。
岡本が暮らすスイスの首都ベルンは、クマが名前の由来となった町。冬眠して丸まっているクマ。微細なギザギザの輪郭がもふもふとしたクマの後ろ姿を彷彿させる。このギザギザは、糸鋸を使って一枚一枚手作業でカットしている。

柔らかなラインが特徴的なURIという指輪もしかり。URIは指輪をラインナップに加えたいというスタッフの意向を汲んで明子さんから提案し、採用された。微細な筆で丁寧に釉薬を塗り重ねていく。ひとつひとつ緻密に手作業で行っているがゆえのわずかな揺らぎ。その絶妙さが有機性となって作品に宿る。自然界に存在する生命力を感じさせるもの。一つ一つの作品に作り手の想いが込められている。

「七宝は陶芸と違って結果が出るのが早い。それがモチベーションにつながりやすいんですよね。窯を使って何かを作るということは、思うようにいかないということ。それは陶芸から学びました。火にゆだねるということなんですよね。」と明子さん。

「七宝屋が自分で七宝の価値を高めることはできないんです。それは市場が高めるもの。SIRI SIRIさんが七宝に新たな価値をつけてくれたのです。」

長い間七宝を心から愛し、その在り方に真剣に向き合ってきた学さんの言葉には重みがある。
今回のコレクションはまさに平林さん夫妻がこれまでひたむきに守ってきたものと、SIRI SIRIの目指すものが交わり、結実したものなのであろう。


文 鈴木 寧々

写真 小野 祐佳

七宝、宝石ほどに美しいその質感と透明感

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